-
亜麻色の髪の乙女 ドビュッシ-2009.06.24 Wednesday
-
Claude Debussy: La Fille aux cheveux de lin
Jascha Heifetz plays La Fille Aux Cheveux De Lin
バッハの『平均律クラヴィーア曲集』やショパンの『24の前奏曲』などと同様に、24曲からなる前奏曲集である。ただし、これらとは異なり24の調に1曲ずつを割り振ったものではない。
ピアノのための小品集ながらも、作曲語法のさまざまな試みや音楽的な美しさにおいて、ドビュッシーの後期における重要作品の位置を占めている。
編曲
ドビュッシー自身はこれらの曲については一切のオーケストラ編曲を残していない。
『亜麻色の髪の乙女』については、ドビュッシーの友人で『聖セバスティアンの殉教』『おもちゃ箱』などのオーケストレーションを担当したアンドレ・カプレによる編曲がある。またヴァイオリン、フルート、サクソフォーンなどをはじめとした独奏旋律楽器とピアノ、あるいはハープなどのためのさまざまな編曲が存在し、それらも親しまれている。ヴァイオリン編曲版はヤッシャ・ハイフェッツによるものが有名で、演奏しやすいよう半音高くト長調に編曲されている。
レオポルド・ストコフスキーの編曲による『沈める寺』の管弦楽版があり、録音もされている。
『雪の上の足跡』、『亜麻色の髪の乙女』、『沈める寺』は、冨田勲によるシンセサイザー編曲が、アルバム『月の光』に収録されている。
近年ではコリン・マシューズが全曲のオーケストレーションを手がけている。ハンス・ツェンダーも一部の曲のオーケストレーションを手がけている。
ウィキペディアより
ピアノ以外にもいろんなバ−ジョンがあるらしいですが、ヴァイオリンはハイフェッツの
為に改訂されたとか・・
ドビュッシ-前奏曲の8曲目にあたる曲です
-
Debussy - Arabesque #12009.06.22 Monday
-
by Aldo Ciccolini.
クロード・アシル・ドビュッシー(Claude Achille Debussy, 1862年8月22日 - 1918年3月25日)はフランスの作曲家である。長音階・短音階以外の旋法の使用、機能和声にとらわれない自由な和声法などを行った。
ドビュッシーの音楽は、代表作『海』や『夜想曲』などにみられる特徴的な作曲技法から、「印象主義音楽(印象派)」と称されることもある。
作品と表現
初期の作品であるカンタータ「選ばれた乙女」(1888年)や「ボードレールの5つの詩」(1889年)まではワーグナーの影響を見ることができる。しかしこの辺りの作品、特にヴェルレーヌと出会って以降の3つの歌曲、「忘れられた小歌」、「華やかな饗宴」第1集などでは、より明確に独自の書法へと変化していった。弦楽四重奏曲ト短調(1893年)においてはフリギア旋法だけではなく、様々な教会旋法を使用している。なかでも「牧神の午後への前奏曲」(1894年)、メーテルリンクの戯曲によるオペラ「ペレアスとメリザンド」(1893年頃着手し、完成は1902年)など同時代の作品から現れた全音音階の使用は、その後の独特のハーモニーの基盤ともなっている。また、これらの作品は規則的な律動にとらわれない書法の先駆けでもあり、それまでの西洋音楽の概念からは異色ともいえるものだった。
印象主義音楽
ドビュッシーの音楽は印象主義音楽と俗に呼ばれている。印象派(ないし印象主義)という表現はもともと、1874年に最初の展覧会を開催した新進画家グループ(モネ、ドガ、セザンヌら)に共通していた表現様式に対する揶揄表現が定着したものであり、音楽における《印象主義》も、若手作曲家の作品への揶揄の意味合いを込めて用いられた表現である。ドビュッシー自身も、出版社のデュランに宛てた書簡(1908年3月)の中で、この用語に対して否定的な見解を示した。
ピアノ曲《2つのアラベスク(仏語:Deux Arabesques)》はクロード・ドビュッシーの初期作品で、最も有名な作品の一つ。1888年に作曲され、1891年に改訂されたとされる。ドビュッシーの2手用のピアノ曲としては、ロシア時代の《ボヘミア風舞曲 Danse bohémienne 》(1880年)以来の楽曲である
概論
2曲のアラベスクはいずれも、ロマン派音楽に典型的な三部形式による小品で、和声法にグリーグやフォーレ、マスネの影響が顕著であるものの、抒情性と軽やかに運動するリズムの共存はシューマンの着想に似ていなくもない。ことに〈第1番〉においては、分散和音の多用と、右手と左手のポリリズムの組み合わせが「アラベスク」たるゆえんであろう。
< 前のページ | 全 [1] ページ中 [1] ページを表示しています。 | 次のページ > |