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花はどこへいったの?Katarina Witt (GER) - 1994 Lillehammer, Ladies' Free Program2009.04.25 Saturday
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どの時代のビットも魅力があった
でも、みどり選手がいたため彼女を大好きとまではいかなかった
サラエボとカルガリ−で2つの金メダル
カルガリ−でのトリプルジャンプは2種類
それから6年後・彼女はリレハンメルのリンクに戻ってきた
勝てるとは思ってなかったでしょう
トリプル・ル−プに挑戦しリンクにメッセ−ジを残して、キスクラへ
この時の彼女は以前の余裕たっぷりの笑顔を見せていたカタリ−ナ・ヴィット
ではなかった。
肩で息をし、沢山の汗を流して得点を待つ
出た点数にちょっと悔しそうな表情
この表情から彼女を大好きになりました。
女王のプライドよりもスケ−タ−として人間としての意思を示すために
リレハンメルにやってきた。
クリ−ンなプログラムではなかった。
けれど、カルガリ−に比べ、より人をひきつけるスケ−タ−として、私にはうつりました。
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1987シンシナティのカタリ-ナ・ヴィット2009.04.10 Friday
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ウエスト・サイド・スト-リ-にのって。
85,86年のヴィット選手の演技はこの大会が終わってから見たのだけど86年と同じプログラムだったんだな〜と思いましたが、こちらの方が良かったと思います。
前年ではショ-トのコンビネ-ション、トリプルトゥ-ダブルル-プで失敗したようです。
これが響き2位。
87年はトリプルからダブルトゥループに変更し見事に決めています。
デビ-・ト-マスは地元のプレッシャ-があったのでしょうかコンビネ-ションを成功させたものの、まさかのダブルアクセル失敗。前年と逆パタ-ンでショートが勝負の明暗を分けました。
それとフリ-でヴィット選手がトリプルル-プを決めた事が大きかった。
綺麗なル-プでしたがこんなに綺麗なループを試合で観たのは後にも先にもこの時だけでした。
カルガリ-ではトゥループとサルコウの2種類だけだったと思います。
2種類のジャンプでオリンピック連覇をした時の北米メディアの辛らつさは凄かったです。
カナダは地元にマンリ-選手がいて(5種類跳べる選手だった)アメリカにはト-マスがいて、みどり選手の演技もあったので余計目立ったのでしょうが。
身体の成長・変化と共にジャンプって跳べなくなるんだな-とコンビネ-ションの組み合わせが変わったのを見て思いました。
88年オリンピック2連覇、ワ-ルド連覇で4回目の優勝を最後に引退。
まさか6年後リレハンメルのリンクでトリプルル-プに挑戦するヴィット選手を観るとは
思いもしませんでした。
一時代を築きフィギュアスケ-トの華やかさを魅せてくれた選手だったと思います。
常にメディアの目を意識しシンシナティでもカルガリ-でも華やかな空気に満ちていたと思います。
彼女がリンクに現れただけで空気が変わるのです。
全てが彼女の色に染まる。
まさしく女王と呼ばれるにふさわしい存在でした。
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サラエボのプリンセス2009.04.05 Sunday
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Katarina Witt (GDR) - 1984 Sarajevo, Ladies' Short Program
カタリ−ナ・ヴィット選手のサラエボオリンピック時での映像とショ−ト・プログラムです。
彼女を初めてみたのはNHK杯だっと思うのですが、当時の国内チャンピオンで世界チャンピオンでもあったアネット・ペッチ選手らと練習していた風景がテレビで流れていました。巻き毛が可愛い選手といった印象の少女でした。82年ワ−ルドで初の表彰台(2位)を射止め翌年は優勝を期待されましたがコンパルソリ−での出遅れが響き台を逃しました。4位か5位だったような記憶があります。
サラエボのこの衣装を見たときは 王女さまのよう と思いました。
日本人である真央選手とは王女様でもちょっと違う感じですが・・
チャルダッシュの曲で可憐なイメ−ジでみていました
トリプル・トゥル−プ-ダブルル−プのコンビネーションを綺麗に決めています。
ル−プジャンプ、トリプルル−プこのジャンプがそれからの彼女の成績や評価につながる事になるとは・・
このジャンプ抜きには彼女の事を振り返ることが私にはできません。
ル−プジャンプへの挑戦はリレハンメルまで続きます。
また彼女のプログラムを思い出しながらル−プと共に振りかえっていけたらな〜と思います。
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